一人暮らしの話

おひさしぶりです。皆さま花粉症は患っておいででしょうか。僕は重度のスギ花粉アレルギーなので早くも薬物頼りの毎日です。

さて、僕は2020年の3月から一人暮らしを始めさせてもらい、いまの住居に来てから早1年が経とうとしています。一人暮らしを始めるにあたっての経緯などを、そういえば書いてなかったなーと思い至ったため、せっかくなのでここに書いておきます。

あまり面白くない話で且つ嫌な気分になる人もいるかもしれないので機嫌のいいときに読むことをおすすめします。ほとんどが自分語りなので口調とかバラバラなことが気になる人も読んでてしんどいかもです。




結論から書くと、親との関係が悪化したためです。

僕の家は父がずっと前から単身赴任をしており、歳の離れた兄はおよそ5年前に実家を離れ就職したため母と僕の二人暮らしでした。兄を含めた3人暮らしの時から母とはうまが合わないことを感じつつも母の面倒な性格を分析しながら育ってきたため、私は母との二人暮らしの間もしばらくはうまくやっていました。

しかし大学に入った辺りからかなりきつくなってきました。いろいろな要因があると考えていますが、大きなものとしては母のストレスが大きくなったこと、父と母の関係がうまくいかなかったとこがあります。

2、3年前から母方の祖母が認知症と躁鬱の兆候を見せ、母がよく様子を見に行くようになりました。祖父は10年以上前に他界しており、姉妹とは仲が良くなかったため母が見に行くしかありませんでした。それにより母にはストレスがたまり、祖母の家に幾たびに愚痴を僕にこぼすようになりました。私しかそれを聞く人がいないので母からの愚痴を聞いて「それは大変だったね」とか「もう少しおばあちゃんと距離を取っても許されると思うよ」とかもっと具体的なアドバイス(例えば老人ホームに入居してもらうなど)をしていたけれど、母はそういったアドバイスはほとんど聞かずにストレスを溜めていくだけだった。まあ僕に話すことでストレスが軽減されていたようではあったけれど。

結果的に祖母は要介護の診断が出され今は施設のお世話になっているけど、そこに至るまでに母は大変なストレスを溜め、それによる被害を僕は大いに被った。些細なことから大きなことまでたくさんあるけれど、ヒステリックな怒り方をする兆候が出始めたのが一番きつかった。前日の夜に「明日は休講になったからゆっくり寝ているよ」と言ったものの母がそれを忘れていて朝方に怒鳴りながら起こしに来たことがあったのだが、その時に母は一切謝らなかった。自分に非がある時に謝ることができなかった辺り、かなり精神的に余裕がなかったのだと今は思う。


大きな要因の2つ目としての両親の不仲だが、これは正直僕が小さな頃から始まっていた。父はいわゆる転勤族で、僕が産まれるより前から転勤を多くしていた。僕が小学校3年か4年の頃に父は名古屋に転勤したが、その少し前から両親の仲の悪さは見て取れた。そのため、父が東京に出張のある時やたまたま休みが取れた日に父と母が会うことがあると、自分は二人の空気が悪くならないように立ち振る舞っていた。母のいないところで父に立ち振る舞いのアドバイスをしたり、父がいないところで母から愚痴を聞いたりと二人のストレスを低減することに努め、その場をうまく納めていた(と思う)。しかし、僕が20歳の冬、父からLINEで兄と僕に「離婚しようと思う」と言われた。

正直な話、ああやっとか、という気持ちだった。別に離婚してほしかったわけではなかったが、物心ついたときから「この二人はなんで結婚したんだろう、なんで結婚しているんだろう」とは思っていたからだ。そのときは僕の学費はとうなるんだろうとか生活費は工面してくれるのだろうかとかそんな諸々を考えたりしたが、父はそんなことは考えておらず只々離婚したい気持ちが先走っており、兄と弟は何も言わず任せるのみであった。

父と母が会い父が離婚を切り出す予定だった日、僕は家で夕食のカレーを作っていた。僕はカレーを作る傍ら母をどのように落ち着かせるか、また父がいつから離婚を検討していたことを伝えるかなど様々なシミュレーションを脳内でしながら連絡を待っていたが、一向に連絡は来ない。二人が解散したと思われる時間に父からのLINE。要約すると

「お母さんの顔見たら離婚したいって気がなくなっちゃったんだよね」

だった。まあ正確には離婚しないってことになったという連絡の数日後に顔見たらする気なくなったわという内容だった。これには兄弟共に呆れ、失望した。

僕はまだまだ扶養される側であり、色々と人生設計を検討しなければならないため大きな懸念事項だったのだか、どうやら父にとってはそうではなかったらしい。さすがに僕はキレた。父に対する関心を失った。

これにより僕の両親への不和は限界へと達し、半ば喧嘩気味に母と対峙した。自分はもう母と二人で暮らすには精神が保たないこと、両親への不信感がもう自分の中で無視できないこと、親と子という無理やり作られた関係の中で子が親に対して負う負担が大きすぎること(これはいずれ別の時にまとめるかも)をぶちまけ、家を出させてくれと頼んだ。しばらくして父が一時的に帰宅し母と協議したらしく、僕の一人暮らしは許可された。なんと家賃補助も出してくれるという。どうやら二人にも罪悪感があったらしい。こうして僕の一人暮らしは始まりを迎える運びとなった。

要約するなら僕が実家にいることがしんどくなり、一人暮らしをさせてもらっているわけである。
こうして家賃補助ももらい一人で過ごせているのは幸運なことで、経済的に普通は実現しえないことだと理解している。しかし親と子という不均衡な関係性上、子はこのくらいの権利を主張して許されると思ってるし(この辺もまた別の記事で書くと思われ)、親は叶える義務があると思っている。

喧嘩的なことをしたのが2月半ばで、一人暮らしが許されたのが2月終わり頃だったから引っ越しの準備期間はそれほど長いものではなかったが、無事に引っ越しを終えおよそ一年間、平穏無事に過ごしている。僕の精神状態は確実に良好で、実家で母と二人暮らしをしているのがいかに僕にとってストレスだったのかが実感できた。一方両親は父の転勤が東京になったため同じ屋根の下2人で暮らし、関係は良好だという。つまり僕が両親の間を取り持ってきた約10年は両親のちょっとした機嫌次第でどうにかなった程度の問題だったのだ。いよいよ僕の足は実家から離れ、疎遠になろうとするばかりである。まあ地元の友達は好きだから結果的に実家に寄ることも無くはないのだが。

不本意ながら筆が乗ってしまいそれなりの分量になってしまった。思えばこれだけ親にストレスがたまっていたのかもしれない。ここまで読んでくれた方にはお礼と謝罪を。こんな内容に時間を取らせてしまったことへのお礼と、暗くてオチもない話を読ませてしまったことへの謝罪である。今の僕は幸せで楽しい話に満ち満ちているから、久しぶりに僕と会ったときに何か気を遣うようなことは是非しないでいただきたい。

末筆ではありますが、僕の家に遊びに来たい人はお気軽にお声かけください。久しく絡んでいない人でもぜひ。むしろそういう人と会いたいところです。

p.s.以前何かの記事の終わりに書いたパンダのおもしろい話、友達に話したら全然ウケなかったんだけど、あれ面白いよね???正直な感想求ム