壺おじやったら精神病みかけた話

※この投稿には誇張表現が含まれます

※特定の人にとって苦しくなる場面がある恐れがあります

 

みなさんは Getting Over It with Bennett Foddy というゲームを御存じだろうか。通称「壺おじ」。

f:id:tetsuya0411:20210715002435p:plain

画面の通り壺に入った中年男性を操作するゲームだ。彼は肌身離さずハンマーを握っており、このハンマーで地面を蹴飛ばし宙を舞う。眼前に立ちはだかる山々を超えてゴールを目指すゲームだ。

ゲーム配信者がプレイする様子や実況動画などで知っている人はいるかもしれない。だがこのゲームをプレイしたことある人はいるだろうか。その難易度の高さから自らプレイしようという人は少ない。ある晩、私は狂ってしまいこのゲームを購入した。820円という微妙に手が出しにくい価格は逆に私の心をくすぐり、地獄のような105分の体験へと私を誘った。

 

※壺おじを知らない人に説明しておくと、このゲームは非常に難易度が高い。操作はマウスカーソルを動かすだけのシンプルなゲームなのだが、非常に繊細な操作を要求される。そして数十分のプレイが無に帰すような意地の悪いポイントが無数に存在している。例えるなら「ふりだしに戻る」のマスが大量に配置されたすごろくのようなものだと思っていればいい。

 

私がこれを購入したのは深夜2時ごろであったと思う。友人とDiscordで通話しゲームをした後、軽く雑談をしていた。そこでふと、友人らが見ている中でGetting Over Itをプレイしたら面白いのではないか、と思い立った(これが全ての間違いだった)。このゲームは配信者などがよくプレイしており、雑談をしながら見る程度の物としてはちょうどいいのではないかと考えたのである。考えてしまったのである。友人らと話しながら私はDiscordの画面共有を始める。ここから苦行が始まった。

 

f:id:tetsuya0411:20210715024119j:plain

ゲームを始めると地面に置かれた壺から男性が出てくる。壺おじだ。彼がハンマーを地面につけたところからこのゲームはスタートする。ナレーターが私の進行に合わせて余興程度のナレーションを入れてくる。初めは操作に慣れるためにおぼつかない動き出しだった。右手でマウスカーソルを動かし、その大きさや激しさに応じてハンマーで移動する速度が変わる。その感覚をつかまないことには登頂はできないのだ。

 

私がゲームを始めほどなくして、友人がこのゲームを購入した。彼はゲーム全般がうまい人間で興味を持ったのだろう。Discordに画面共有を始め、それに合わせもう一人の友人もこのゲームを購入し参加した。決して競争ではないが、3人の進捗を比べられるような状況と相成ったのである。

 

 

開始から20分ほど経ったころであろうか、ゲームの得意な友人(A君と呼称)が私の地点を超えた。彼は操作の感覚を早々につかんだらしく私よりも快調なペースで進んでいた。一方の私はいまだにコツがつかめずうまく進めずにいた。しかしこれはゲームである。そして何より個々人でやっているだけで競争ではない。気にせずゆっくりやろう。そう思いながらやっていくことにした。

 

 

 

このゲームは段階的に難しいポイントが現れ、そこを超えられないと何度も挑戦することになる。そして失敗すると場合によっては数分前にいた場所まで落ちてしまう。これを繰り返しつつ山を登っていくゲームだ。この仕様がプレイヤーを苦しめる。数十分かけて登頂したと思ったら一つのミスで最初にいた場所まで戻されてしまうのだ。いくら配信などでゲームを見て知っていたからと言って実際に自分が体験するとキツいものがある。努力が水泡と帰すのはつらい。かけた時間が失われるのはつらい。自身の力が及ばないのはつらい。

f:id:tetsuya0411:20210715024136j:plain


 

 

 

 

 

f:id:tetsuya0411:20210715023843p:plain

ほどなくしてA君のあとに購入した友人(B君と呼称)が私の地点を追い抜いた。私は彼らより回線が強くないこと、ノートパソコンであることが原因でDiscordに画面を共有せずにやるように変更していた。結果としてゲームをしていない視聴組はA君とB君の進行を見て話すようになった(これは当然の帰結なのでもちろん何も気にしていないことを補足しておく、彼らが奇特にもこの文章を読んでいるかもしれないので)。自分の遅さを実感する。右手をぐるぐると動かし男性を動かす。彼は自身の力をうまく使えず何度も失敗する。次第に疲れてきた。動きが雑になりミスが増えていく。

 

 

 

 

 

f:id:tetsuya0411:20210715023854p:plain

子どもの頃の自分を思い出していた。同じ社宅の子どもたちと自転車で競争をした時のこと。1個年下の子に負けて言いようもなく泣きたくなってしまったこと。小学校の中休み、ボールをうまく投げられず三歩当てで全く歯が立たなかったこと。体育の授業で走り方を教えられ必死に腕を振り回すも不格好にバタバタと見苦しく身体を動かすことしかできなかったこと。両親から見せられた運動会のビデオに映る不格好に動く自分。中学の部活で一人だけ不協和が満ちたシュートフォームをしている自分。鬼ごっこで永遠に鬼を渡せなかった自分。苦手な球技の割合が増えチームに迷惑をかけた高校時代の体育。サークルで少し触れたダンスは必死に楽しもうとしたがずっと自身の動きのミスマッチ感が頭から離れることはなかった。

 

 

 

 

 

 

f:id:tetsuya0411:20210715023905p:plain

これは競争ではない。これは競争ではない。これは競争ではない。自分のペースでやること。着実に前進すること。それがゴールへ近づくために必要なことだ。そう自分に言い聞かせながらプレイしていた。しかしつい周囲を見てしまう自身の羞恥心やみっともないプライドが小突いてくる。これは何の話だ?この Getting Over It というゲームの話か?それとも僕のこれまでの話か?いや、どちらも同じ話だ。必死に腕を振り回しもがき進みその最中変なところを叩いてしまったせいでみっともなく落ちる彼と、思ったように動けず醜態をさらしながら無闇にやるものの何も生み出せなかった自分。彼と私は同じなのだ。私がガチャガチャとマウスを動かし、彼がガタガタと進む。彼が落ちるとき、私も共に落ちる。彼が数分前の位置にいるとき、私もそこにいる。

 

 

 

 

 

 

 

時刻は3時を回り、マウスを繰る右腕は疲労に満ちていた。

 

よし、やめよう。

 

と思った。私も彼もこのまま続けていて幸せにならない。できないことは、できないでいいんだ。できないことだらけで、人より劣っていることだらけで、いいじゃないか。そもそもこのゲームは難しいことで有名だったんだ。難しいと認めることに何もおかしなことはない。できないこと、難しいことに挑み続けて壁にぶつかっても、傷だらけになるだけだ。彼の壺がなんども地面に叩きつけられ傷ついていたように、彼の心も傷ついているはずだ。そして、私は自分の傷に気が付くことができた。それでいいじゃないか。

 

 

 

ほどなくして、A君が2時間以内にプレイをやめると言った。このゲームを購入したsteamというサイトにはプレイ時間が2時間以内であれば返品・返金処理が可能というサービスがあった。時計を見ると、私は恐らく返品を行うことができる。恐らくゲームを買う前の私ならば、クリアできなかったからという理由で返品することを良しとしないだろう。しかし、今の私は素直に自分を受け入れることができる。できないことは、できないでいい。こうして私は105分に及んだ Getting Over It との禅問答を終え、彼とのつながりに別れを告げた。このことに後悔はない。私よりも先を進んだ友人への羨望はあれど、嫉妬の心は一切ない。できないことをそのまま認めてあげる、この経験は、確実に私を豊かにした。

 

 

返品をし、直後に返金処理がされて数日後、私はこの文を書いている。steamのサイトにある Getting Over It の商品紹介ページを見てみると105分という私のプレイ時間表示と共にこのようなメッセージが目に入った。

 

f:id:tetsuya0411:20210715022225p:plain

 

果たして私は、傷ついただろうか。

 

 

P.S.

この文章はおおむね当時の心境に沿って書いていますが全体的に誇張気味になっています。友人が先を進んでいたことに対してこれほど病んでもいないです。ただ返品したことはマジです。二度とやらん。(ゲームに罪はないけど。)

このゲーム、プレイしなくてもいいので誰かのプレイ動画もしくは商品のレビューだけでも見てみてください。色んな怨嗟の声が聞こえてきて面白いので。

store.steampowered.com