1番である必要がないと思っている話

お久しぶりです。期末課題のレポートを書くことから目を背けて書きたいことを書くべくここに立ち寄りました。みなさまお元気でしょうか。僕は最近バイトの仕事量が増えすぎて昇給の要求をしました。賃金が上がった途端に客足が遠のいてヒマになるという謎の申し訳なさを感じております。

 

日頃から思っている人間の能力の話をまとめておきたいと思って書きます。サブタイトルとしては「2番手3番手で全然構わない理由の論理的説明」みたいなとこでしょうか。固く重い話じゃないのでご安心を。

 

出し抜けですが、僕は高校時代に生徒会に所属していました。僕のいた生徒会は全体で40人くらいいるそこそこな規模感の組織でした。まあまあ頑張って参加していた方だったので、3年次にはちょっとした長にもなったのですが、そうした中で感じることがありました。

 

人には向き不向きがあるという、ごく当たり前のことです。

 

僕は総務部という部署に所属していたので、稀に行事などのイベントの運営を手伝うことがありました。そこで仕事の割り振りなどを決めるときに人の能力を客観的に考えちゃんとそれが発揮される割り振りについて考える必要に駆られました。とあるイベントの時に有能な委員長がいました。彼(仮にイロハ君と呼称)はひいき目に見ても僕より場を回すのがうまく、能力的には上位互換と言っていいでしょう(少なくとも僕の主観では)。ジョジョスタンド能力っぽく表記するならこんな感じ。

 

判断力 A

俊敏性 B

対応力 B

渉外性 A

スタミナ A

 

みたいな。対して僕はこんな感じ。

 

判断力 B

俊敏性 C

対応力 B

渉外性 C

スタミナ B

 

あくまで話を書きやすくするために適当に設定しているけれど、大事なのはイロハ君が僕の上位互換的人材であるという点です。別に自分を過小評価しているわけではなくだいたい彼がやったほうがうまくいくだろうという信用の裏返し。

 

ここで明記しておきたいのがここで僕がブドウを見上げるキツネのようにもならずこのままで良しとして過ごしていたことです。そして僕のような下位互換的存在でも組織には絶対に必要だと感じていたことでもあります。

 

イロハ君が全てをやる方が効率がいいというのは先の能力表を見れば感じるでしょうが、現実はそうシンプルではありません。当然イロハ君が全ての業務を行うことは時間的にも体力的にも無理だし、なによりワンマンチームは思考の柔軟性が失われて良くありません。組織に求められる量の成果を出すためにはどうしても組織内で分業をする必要があります。そこで僕のような下位互換が必要になってくるわけです。

 

僕はイロハ君ほどの仕事ができなくとも、彼のクオリティに近しい仕事をできる場があり、それは僕以外のメンバーにも共通でした。これができると何が良いかというと、イロハ君が十全なパフォーマンスを発揮できるという点です。イロハ君は上位互換的な能力を持っていますが、あるイベントのすべてを一人で執り行うにはイベントの規模が大きすぎるとします。そのような時には本来彼が持つ能力を十全に発揮しきれません。しかしそこに愛すべき下位互換である僕が彼の業務を代替することでイロハ君のパフォーマンスが上がる、結果的に組織全体での成果が上がる、という現象が起きます。

 

まあ当たり前のことしか書いてないんですが、雑な言葉でまとめると「めちゃめちゃ優秀な人がいても全部見切るのは無理だから、下位互換的な人でもいいので誰かが代替するとその優秀な人が動きやすくなって結果的に得」という実感を得た、という話です。

 

よく1番優秀でなくてはならない、とか最高の力を持ってないと意味がない、とかいう考えを目にしますが、僕はそうは思っていません。なぜなら組織で何かをする中ではめちゃめちゃ能力が高い人でもどうしても手が回らないことが出てくるからです。僕のような愛すべき下位互換の果たせる役割は、優秀な人がパフォーマンスを発揮できるように(たとえクオリティが廉価になっても)タスクを代替し、組織としての生産力を上げることだと思ってます。そしてその人たちの仕事はとても重要で貴ばれるべきだと思ってます。

 

こういう風に考えているから僕は自分の能力が他人より劣っていても気にならないし、逆に自分の能力が低いことをやたらと気にする人を見かけると「ああ、なにかしらの組織で活動していたことが少ないのかしら」とか思ってしまいます(まあこれはこの発想に至れた僕が幸運だったとも思っているので実際はここまで思ってはいない)。なので自分にできることをするのが大事、という理念で僕は基本的に動こうとしてます。

 

何か自分の能力にコンプレックスを持っている人、自分の上位互換が身近にいることが気になっている人の解決の糸口に慣れれば幸いです。

 

P.S.

去年受講していた授業で、家庭内労働と家庭外労働のバランスみたいな話をしていた時にこれとほぼ同じような話が出てきてちょっと嬉しくなった。興味ある人は僕から聞くか、経済学部に入学しよう。

 

 

 

一人暮らしの話

おひさしぶりです。皆さま花粉症は患っておいででしょうか。僕は重度のスギ花粉アレルギーなので早くも薬物頼りの毎日です。

さて、僕は2020年の3月から一人暮らしを始めさせてもらい、いまの住居に来てから早1年が経とうとしています。一人暮らしを始めるにあたっての経緯などを、そういえば書いてなかったなーと思い至ったため、せっかくなのでここに書いておきます。

あまり面白くない話で且つ嫌な気分になる人もいるかもしれないので機嫌のいいときに読むことをおすすめします。ほとんどが自分語りなので口調とかバラバラなことが気になる人も読んでてしんどいかもです。




結論から書くと、親との関係が悪化したためです。

僕の家は父がずっと前から単身赴任をしており、歳の離れた兄はおよそ5年前に実家を離れ就職したため母と僕の二人暮らしでした。兄を含めた3人暮らしの時から母とはうまが合わないことを感じつつも母の面倒な性格を分析しながら育ってきたため、私は母との二人暮らしの間もしばらくはうまくやっていました。

しかし大学に入った辺りからかなりきつくなってきました。いろいろな要因があると考えていますが、大きなものとしては母のストレスが大きくなったこと、父と母の関係がうまくいかなかったとこがあります。

2、3年前から母方の祖母が認知症と躁鬱の兆候を見せ、母がよく様子を見に行くようになりました。祖父は10年以上前に他界しており、姉妹とは仲が良くなかったため母が見に行くしかありませんでした。それにより母にはストレスがたまり、祖母の家に幾たびに愚痴を僕にこぼすようになりました。私しかそれを聞く人がいないので母からの愚痴を聞いて「それは大変だったね」とか「もう少しおばあちゃんと距離を取っても許されると思うよ」とかもっと具体的なアドバイス(例えば老人ホームに入居してもらうなど)をしていたけれど、母はそういったアドバイスはほとんど聞かずにストレスを溜めていくだけだった。まあ僕に話すことでストレスが軽減されていたようではあったけれど。

結果的に祖母は要介護の診断が出され今は施設のお世話になっているけど、そこに至るまでに母は大変なストレスを溜め、それによる被害を僕は大いに被った。些細なことから大きなことまでたくさんあるけれど、ヒステリックな怒り方をする兆候が出始めたのが一番きつかった。前日の夜に「明日は休講になったからゆっくり寝ているよ」と言ったものの母がそれを忘れていて朝方に怒鳴りながら起こしに来たことがあったのだが、その時に母は一切謝らなかった。自分に非がある時に謝ることができなかった辺り、かなり精神的に余裕がなかったのだと今は思う。


大きな要因の2つ目としての両親の不仲だが、これは正直僕が小さな頃から始まっていた。父はいわゆる転勤族で、僕が産まれるより前から転勤を多くしていた。僕が小学校3年か4年の頃に父は名古屋に転勤したが、その少し前から両親の仲の悪さは見て取れた。そのため、父が東京に出張のある時やたまたま休みが取れた日に父と母が会うことがあると、自分は二人の空気が悪くならないように立ち振る舞っていた。母のいないところで父に立ち振る舞いのアドバイスをしたり、父がいないところで母から愚痴を聞いたりと二人のストレスを低減することに努め、その場をうまく納めていた(と思う)。しかし、僕が20歳の冬、父からLINEで兄と僕に「離婚しようと思う」と言われた。

正直な話、ああやっとか、という気持ちだった。別に離婚してほしかったわけではなかったが、物心ついたときから「この二人はなんで結婚したんだろう、なんで結婚しているんだろう」とは思っていたからだ。そのときは僕の学費はとうなるんだろうとか生活費は工面してくれるのだろうかとかそんな諸々を考えたりしたが、父はそんなことは考えておらず只々離婚したい気持ちが先走っており、兄と弟は何も言わず任せるのみであった。

父と母が会い父が離婚を切り出す予定だった日、僕は家で夕食のカレーを作っていた。僕はカレーを作る傍ら母をどのように落ち着かせるか、また父がいつから離婚を検討していたことを伝えるかなど様々なシミュレーションを脳内でしながら連絡を待っていたが、一向に連絡は来ない。二人が解散したと思われる時間に父からのLINE。要約すると

「お母さんの顔見たら離婚したいって気がなくなっちゃったんだよね」

だった。まあ正確には離婚しないってことになったという連絡の数日後に顔見たらする気なくなったわという内容だった。これには兄弟共に呆れ、失望した。

僕はまだまだ扶養される側であり、色々と人生設計を検討しなければならないため大きな懸念事項だったのだか、どうやら父にとってはそうではなかったらしい。さすがに僕はキレた。父に対する関心を失った。

これにより僕の両親への不和は限界へと達し、半ば喧嘩気味に母と対峙した。自分はもう母と二人で暮らすには精神が保たないこと、両親への不信感がもう自分の中で無視できないこと、親と子という無理やり作られた関係の中で子が親に対して負う負担が大きすぎること(これはいずれ別の時にまとめるかも)をぶちまけ、家を出させてくれと頼んだ。しばらくして父が一時的に帰宅し母と協議したらしく、僕の一人暮らしは許可された。なんと家賃補助も出してくれるという。どうやら二人にも罪悪感があったらしい。こうして僕の一人暮らしは始まりを迎える運びとなった。

要約するなら僕が実家にいることがしんどくなり、一人暮らしをさせてもらっているわけである。
こうして家賃補助ももらい一人で過ごせているのは幸運なことで、経済的に普通は実現しえないことだと理解している。しかし親と子という不均衡な関係性上、子はこのくらいの権利を主張して許されると思ってるし(この辺もまた別の記事で書くと思われ)、親は叶える義務があると思っている。

喧嘩的なことをしたのが2月半ばで、一人暮らしが許されたのが2月終わり頃だったから引っ越しの準備期間はそれほど長いものではなかったが、無事に引っ越しを終えおよそ一年間、平穏無事に過ごしている。僕の精神状態は確実に良好で、実家で母と二人暮らしをしているのがいかに僕にとってストレスだったのかが実感できた。一方両親は父の転勤が東京になったため同じ屋根の下2人で暮らし、関係は良好だという。つまり僕が両親の間を取り持ってきた約10年は両親のちょっとした機嫌次第でどうにかなった程度の問題だったのだ。いよいよ僕の足は実家から離れ、疎遠になろうとするばかりである。まあ地元の友達は好きだから結果的に実家に寄ることも無くはないのだが。

不本意ながら筆が乗ってしまいそれなりの分量になってしまった。思えばこれだけ親にストレスがたまっていたのかもしれない。ここまで読んでくれた方にはお礼と謝罪を。こんな内容に時間を取らせてしまったことへのお礼と、暗くてオチもない話を読ませてしまったことへの謝罪である。今の僕は幸せで楽しい話に満ち満ちているから、久しぶりに僕と会ったときに何か気を遣うようなことは是非しないでいただきたい。

末筆ではありますが、僕の家に遊びに来たい人はお気軽にお声かけください。久しく絡んでいない人でもぜひ。むしろそういう人と会いたいところです。

p.s.以前何かの記事の終わりに書いたパンダのおもしろい話、友達に話したら全然ウケなかったんだけど、あれ面白いよね???正直な感想求ム

おいしい鶏むね肉の茹で方の話

おはようございます。一人暮らしを始めてそろそろ1年が経とうかという徹夜です。

 

家計のお供である鶏むね肉をおいしくやわらかくいただく方法が自分の中で確立されたので、みなさんへの共有と僕が記憶喪失した時のために書いておきます。まじでこれは良い(小学生並の語彙力)。

 

1. 鶏むね肉から皮をはぐ(はいだ皮は冷凍しておいてまとめて鶏皮せんべいにする)

 

2. ブライン液に鶏むね肉を漬ける

2.1 ブライン液の作り方

   水200mlに砂糖10g、塩10gを入れて溶かす。終わり!!

   (砂糖と塩をグラムで測るのが面倒なので僕は砂糖小さじ3ちょい、塩小さじ2弱って感じでやってます)

 

3. 3時間~一晩漬けておく(それ以上漬けてもいいらしい、保存性も高いらしいので)

 

4. 大きめの鍋にお湯を沸かす 

4.1 この間に鶏肉を半分に切っておく(小さい場合は必要なし)

 

5. 沸騰したら火を止め、ブライン液から取り出した肉を投入する

 

6. 鍋に蓋をして40分放置(蓋がないならアルミホイルでもいいかも)

 

7. 肉を取り出して氷水を入れたボウルに投げて冷やす(省略可)

 

8. ジップロックにめんつゆとか醤油を入れてそこに肉を入れる、あとは好きなだけ漬けておく 以上

 

これでまじでやわらかい鶏むね肉ができる。薄く削ぎ切りにしてあげるとなお良し。

ポイントはブライン液に漬けておくことだと思います。これマジ革命。最強。最近は鶏肉を買ったらすぐ漬けておくのが女子高生のトレンドらしい。

 

ちなみにめんつゆの漬け時間については、4倍濃縮のめんつゆに2時間つけていればちゃんと味が付いてました。ジップロックの空気はなるべく抜いてあげるとなお良し。

 

以上、僕がよく作る夕飯のメニューでした。

P.S. 鍋に残ったお湯は鶏の出汁が出ているので、塩入れてと野菜とかタマゴ入れれば美味しいスープになるよ

小さなころの夢の話

こんばんは。せっかく洗濯機を買ったのに梅雨入りしたからあまり使えていない徹夜です。最近の悩みは洗濯機を外に置いているから洗濯機カバーを買ったのにサイズが合ってなくてすぐ洗濯機から外れてしまうことです。

 

昨晩、たまたまVtuberの配信を聴いていたら(ほんとうにたまたまだよ。別に沼に入りつつあるわけじゃないよ。切り抜きとかはちょっとしか見てないよ。せいぜいニコニコ動画のあなたへのオススメ欄がVtuberに染まってきた程度だよ。)、「小さい頃の夢は歌手になることだったんですけど~」的な話が聞こえてきてふと自分が昔抱いていた将来の夢を思い出そうとしてみた。

 

 

 

職業とかのわかりやすい将来の夢として覚えているのは、小学1年生のときに言っていた「宇宙飛行士になりたい」だったと思う。小さいころ、祖父母に連れて行ってもらった科学博物館で見た宇宙の映像にびっくりした僕は宇宙飛行士になりたいと思った。この夢は家族にも公言していたし当時の僕にとってはそれなりに大切な夢だったと思う。

 

しかし小学3年生に上がる頃にはこの夢を諦めていた。視力が落ちたからである。宇宙飛行士になる上で、視力は重要な条件である。JAXAのホームページには1.0以上の視力が必要と書いてあり、宇宙空間での作業の際に一定以上の視力が必要となっているからである。3年生になる頃にはメガネをかけ始めていた僕はこれを知って少なからずショックを受けた。視力は回復しないから僕が宇宙飛行士になることは絶対に無いのだ、と子供ながら落胆していた記憶がある。

 

※当時の僕は知らなかったが宇宙飛行士の募集要項には"矯正"視力で1.0以上となっているので当時小学3年生の徹夜君は絶望する必要は一切なかった。まあ小学3年生がインターネットでJAXAの宇宙飛行士募集要項なんぞを見つけられるはずもないので致し方なし。

 

ちなみに色覚障害のある方は募集の候補から外れるとの規定はあるらしい。

 

 

そんなわけで齢九つにして人生の目標を失った徹夜少年だが、12年後Vtuberの配信を聞いて唐突にひらめいたことがあった。

それは「自分は宇宙飛行士になりたがっていたが、それは単に宇宙に行きたかっただけなのではないか?」ということである。宇宙飛行士になって宇宙空間で様々な実験、研究をしたい。あるいは人類の宇宙進出を進めたい、といった意欲は(まあ小学生がそこまで考えていたらちょっと怖い気もするが)なかったのだ。ただ単純に「宇宙って綺麗なんだろうなー」としか考えていなかったのだと思う。宇宙から地球を見てみたい、これが当時の僕が持っていた夢だったのだと今は思う。

 

それならばである。そう遠くない将来にそれは恐らく叶うであろう。宇宙へ行く観光ビジネスは現在国や民間を問わず開発が進んでいる(例えばホ〇エモンロケットとか)。僕の予想(というより願望)だと僕が30代になる頃には一般人にも手が出せる程度の値段で宇宙に行けるようになっているはずだ。根拠は特にないが。もしその時の僕が宇宙に行くことができたならば、夢を諦めた徹夜少年(9歳)も無事に成仏できるであろう。

 

これは構造的に見ると自分の夢を他人に任せて実現しようとしているという事である。現在就活を少しずつ始めている身ではあるが、僕は宇宙産業についてはあまり興味がない。宇宙に行く夢を叶えるためには誰かが宇宙に行く手段を開発してくれるのを手をこまねいて待つばかりなのだ。これはある意味夢に対して不誠実とも取れる態度かもしれないが、僕はこれでいいと思っている。僕のように宇宙に行くことを諦めた人たちのたくさんの夢を乗せた宇宙船が飛び立つのを願うというのはなんともロマンチックに見えないだろうか。

 

深夜の勢いでめずらしくポエミーな文体になったけれど、このブログを一言でまとめるなら

「ホリ〇モ~ン!宇宙に行きたいよ~!」

ということである。ジャイアンがお前には宇宙飛行士は無理だっていうから、だったら宇宙に行く夢は叶えよう、ということなのだ。だから頑張れ、ホリエ〇ン。

人生楽しんだ者勝ちという言葉が好きじゃない話

お久しぶりです。このブログを書くのももうずいぶんと久しぶりな気がします。

ふと常々思ってることを書きたくなったのでやらなきゃいけないレポート諸々を投げ出して筆を取っています。2年次に留年の危機に瀕したことをもう忘れつつある自分を見ないふりをしつつ徒然なるままに。

 

今回は僕の面倒な精神性が若干見え隠れしている文章になっているかもしれないので今そういった文章を読む気分じゃない人は無理に読まなくてもいいんじゃないかな(タメ口)。

 

さて以下本文。

 

「人生楽しんだ者勝ちっしょ!」みたいな言葉は誰もが一度は目にしたことがある言葉だとは思うのですが、端的に言って僕はこの言葉が嫌いです。

 

なぜかを一度落ち着いて考えたのですが、(こういう発言をする人にガラの悪い人が多いから反射的に嫌悪感を覚えるとかそういう色眼鏡はナシにしたうえで)おおまかに

 

①人間を"勝ち組"と"負け組"にソートしようとしているのが気に食わない

②そもそも人生に勝ち負けという価値観を持ち込んでいるのが残念

 

この2つが気に食わないなと気づきました。

 

まず1つ目の「人間を"勝ち組"と"負け組"にソートしようとしているのが気に食わない」ですが、これは言葉の通りです。人生楽しんだ者勝ち、という言葉は人生を楽しんでいる自分は楽しめていない者に比べ優れている、楽しめていないやつらは哀れだ、といったようなニュアンスを含んでいるように私は感じてしまうのです。たいていの人はこんな思いで言ってはいないでしょうが、しかし根底にこういった意識があるように思えてならないのです。そしてこれが不快なことのもう一つの理由が、相手の人生を勝手に"勝ち負け"というクソったれな価値観で断ずることです。そもそも個々人の人生は他人にその価値を判断されるものではないはずです。自分の人生は自分しか知り得ないもので他人に勝手に価値を決められるのは意味不明です。それを相手の勝手な価値観で"勝ち" "負け"と烙印を押されるのが僕は嫌悪感を覚えるのだなと自己分析しています。

 

2つ目の「そもそも人生に勝ち負けという価値観を持ち込んでいるのが残念」というのはちょっとうまく説明できるか分かりません。一番わかりやすい説明をするとなると「福本伸行作『天』」というマンガを読んでください!ってところに尽きます。(カイジの作者が書いてるマンガで僕の心の一冊です。)あそこで語られる人生観が非常にこれを理解しやすいんじゃないかなと思いつつ、読んでない人に伝えられるような説明を書いていきます。

 

閑話休題。人生に勝ち負けという概念はそもそもないでしょうが、「人生楽しんだ者勝ち」と言っている人が思う"勝ち" "負け"というのは恐らく彼らの中ではある程度イメージがあるのでしょう。仕事に縛られた人生、結婚できないまま生涯を終える人生、人に認められない人生、など。でもこれらの人生を送っている人は果たして負け組なのでしょうか。もちろん本人が望まないもので、本人が不幸に感じているのならば確かに勝ち組だとは言えないのかもしれません。しかし僕は人生の価値は一様には決められないと感じている人間で、ものすごく大きな不幸が人生の多くを占めていたとしても自分が納得できるものであればそれは十分人生を全うできているのだと思います。勝ち負けという概念は他者と自分を比べて初めて発生する概念です。自分だけでは勝負は発生しないですから。

人生に勝ち負けという概念を持ち込んでいるのが残念、というのは他者と自分の人生を比べて「自分は幸福だ」「自分は不幸だ」と一喜一憂するのがそもそもおかしい、という帰結です。

 

思ったままに整ってない文章を書いてしまった気がしますが、これが僕が常々思っていることです。僕は人生を勝ちたいとも負けたいとも思っていないし、人に誇れるような人生を送りたいとも思っていないです。ただ自分が納得できるような人生を送れて、自分に誇れるような人生を送れれば満足です。まあその納得できるように頑張るのが難しいのかもしれませんが。自己肯定感の問題になってきそうなのでそれはまた別の時に(めんどくさいから多分書かないけど)。

 

さて、つらつらとめんどくさいことを書いてしまいました。レポートの課題もこれくらいサクッと書けたらいいのにと愚痴をこぼしつつ筆を置こうと思います。また気が向いたら何か書くかもしれません。去年アイルランドに行った時のことを書くと言いつつ書いてないからそのうち書くかもしれません。旅行当時の日記(3日くらいで書くの飽きたけど)を発見したのでそれをそのうち載せるかもしれません。載せないかもしれません。シリアスな文章で終わらせるのが気に食わないので最後に面白い話しろと言われたときのために覚えている面白い小噺を載せて終わります。ここまで読みにくい文章を読んでくれてありがとうございました。

 

~おもしろい話~

 

突然ではありますが、みなさまパンダは好きですか?可愛いですよね、パンダ。

パンダの白黒模様の柄は一匹一匹異なるそうですが、一か所だけどのパンダでも白い柄の場所があるらしいです。

 

それはなんと「しっぽ」。ふしぎな話ですよね。

これがほんとの おもしろい(尾も白い)話。

 

お後がよろしいようで。

 

~終~

おやさいとおさかなの話

 次回はアイルランド旅行の話を書くと言ったな。あれはウソだ。そのうち書くから。たぶん。

 皆さんは野菜は好きだろうか。僕は好きだ。では肉はどうだろうか。僕は肉も好きだ。では魚は。魚も好きだ。でもみんながみんなそうではないし色んな嗜好や思考があるのも周知の事実である。これから書くのはそんな話。ちょっと懺悔チックになるし、ついでにもう書いておくと今回もオチは無い。

 以前サークルに留学生が二人ほど来ていた。サークルに来てくれた順番に仮にAさんとBさんと呼称するが、Bさんがヴィーガン、もといヴィーさんだったのだ。

 これはBさんがサークルに来てくれてからしばらくして告白してくれたことなのだが、特別困ることもなかった。僕のサークルで食事に行くことはほとんどなかったし、サークル時間中に誰かが持ってくるおやつの中にジヤーキーとかスルメとかが入っていることはなかった(はず)なので、影響らしいものは特にはなかった。

 留学生のAさんとBさんは半期だけの留学だったため7月のサークル活動を最後にお別れとなる。そこでお疲れ様会をすることになったのだが、ここでAさんの発案で寿司を食べる運びとなった。Bさんは自分の菜食主義を僕以外に伝えていなかったので、何かできるとしたら僕しかいなかったのだろうけど、ここで僕はどうしたら良かったのだろうか。

 日本にはまだヴィーガン向けのお店は少ないし、もし近くにあったとしてそこにみんなを連れて行ったかどうかはわからない。正直、ヴィーガン向け料理と寿司屋どっちがいいかと聞かれたら僕は寿司屋と答える。ただ、僕が寿司屋を選んだことで確実に参加しなくなる人がいたのは事実だ。

 個人が好きでやっている食の嗜好なんだからそれに振り回される必要がないと捉えるか、それともマイノリティの尊重をしないと危険だと捉えるかは人それぞれだと思うが、僕の中でまだ未消化な問題だったためこうして文章にしてみました。何か意見とか感想とかあったら教えてくれると嬉しく思います。

追伸:菜食主義者ように作られた動物性たんぱく質を一切使わずに作られたスープに、豚骨スープとか鶏ガラスープを入れてラーメンを作るとめちゃめちゃうまいって聞いた。まあ豚骨ナシで旨いところに豚骨ぶちこんだらそりゃ旨くなるわ。

楽器の修理屋さんに行ってきた話

 お久しぶりです。光陰矢の如しとはよく言ったもので、最後に記事を書いてからかなりの時間が経ってしまいました。別に飽きたわけじゃないよ。病んでたわけでもないよ。ツイッターするのに忙しくてブログちゃんに構ってあげられなかったんだよ。

 さて、私は今ひさびさにブログに手を出しているわけでこれまでどんな風に書き進めていたかを忘れてしまったのですがちょっと書きたいことができたので書きます。まあ相変わらず日記程度のものですが。

 最近(8月頃)、自分の使っている楽器の調子が悪かったんで修理をお願いしてきました。板橋のBELLOWS WORKSさんというところです。蛇腹楽器をたしなむ方はぜひ覚えておいてください。
 そこで、楽器のネジをはずしてもらって中身を見ていただいたのですが、これがなかなか新鮮でして。ピンセットとかそういう棒で中身をいじくる様はまるで歯医者さんのような印象を受けました。
 僕も持って行く前に蓋を外してみるくらいのことはしてみたけれど、それ以上いじくるのは少し怖かったのでやっぱりプロの方にお願いしてよかった。しばらくいじってもらうと、気になっていた部分が見事に治っていたのでよかった。そんなに値段もかからなかったので大満足でした。おしまい。

(ただの日記になっちゃったけど次はアイルランド旅行したときの話を書く予定だからおふざけはそこで......)